いつもどんな写真を撮っているの?撮ってきたの?と、聞かれることが多い。 その度に私は困惑していた。 人を中心に撮っている訳でもなし。だからといって風景や花を撮りたい訳でもなし。 街中や物の写真よりかはどちらかというと自然なものを撮る方が多いけど。。。 写真を未だブックとしてちゃんとまとめたこともない。 何が撮りたいのか未だわからないでいる。 でも最近やっと、やっと自身で納得したことがある。 それは、自分は、「心象風景」というか心のストーリーを写しているんだということだ。 先月ファットフォトに写真が載った時、ポートレートのテーマで出したものの、 審査員から得た言葉は、もっと別のジャンルの写真のように思いますと書いてあった。 そこで、はっとした。 今まで写真をはじめてからずっと私の撮ってきた写真。 それは、自らの心のうちであったような気がする。 だから、はじめて雑誌に載った写真は、「夢の徴」という写真だった。 20歳そこそこで、見るものすべてがキラキラしていて、ワクワク夢を見ていた。 仕事をはじめて行き詰まったときは一人旅に出て、鞍馬の山でひたすらねじ曲がる木々や 枯れた葉っぱを撮りまくっていた。 今 眠っている写真たちは、色も、対象物も、何もかもばらばらとしていて、一見 一貫性のないように見える。 が、それはまさに自分の気持ちの変化であり葛藤の証でもあるから、それはそれでいいのだと 思えるようになった。 これからもそうした写真を撮り続けるのだと思う。 そして、問い続けるのだと思う。 でも、欲を言えば、そこからもう一歩、抜け出して、誰かの気持ちを動かしたり、癒したりと、 自分のためだけでなく、誰かのための写真を撮れるようになれたらいいな、と思う。 そして、そういう写真を撮れるような、「人間」を目指したい。 いい写真を生み出す。= ワクワクした人生を歩む人 だと思うから。 ***** きっと自分の場合はものすごい遠回りをして、ばあちゃんになったころに、 ああ、わたしゃあこんな写真を撮りたかったのだわ がっはっは。 なんてことになりそうだ。 写真とは近づいたり 遠のいたり けんかしたり 休んだり のめりこんだり。 そうして絆が深まってゆく。 と、 まさにこの先出会うであろう「旦那」とのような関係でいたいと思う。
by tanacamera
| 2011-02-08 09:57
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